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糖尿病になった猫&虐待にあった猫と暮らす私(pancia)が、 「猫と人がともにしあわせに暮らす」日々のために できることを探し、発信していくブログです。

「日々の行動が運命を変える」らしい。小さな一歩から始めてみよう!

「自分が本当に心からやりたいこと」を知るヒントは「子供時代」にある

今日は私の誕生日です。もう世間一般的にも自分としても完全に「若者」というカテゴリーから離脱したので、人生の後半戦何をして生きていこうかなんて、最近結構真剣に考えています。

皆さんは「運命は変えられる」と思いますか? 私は変えられると思っています。そして誰しも「幸せになれる」とも思っています。もし考え方や物の見方の角度を、ほんの少し変えてみただけで「運命が変わる」「幸せになれる」と言われたら正直「胡散臭いなあ」と思いますか? 

今日は個人的に節目なので(笑)、「運命は変えられるか」「幸せってなにか」そんな壮大なテーマで、果敢に大風呂敷を広げに行きたいと思います。

 

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時計が壊れたので購入した「にゃんこ時計」。しかし翌日、破壊女王パンナさんの猫パンチで壊されました・・・猫の手の届くところに置いた私が悪うこざいました(涙)これも運命でしょうか。

 

私はカウンセラーの仕事にも興味があり、以前キャリアカウンセラー講座*を受けたことがあります。その時「クライエント(相談者)の過去について、ヒアリングして理解を深めることが重要」だと教わりました。本当に自分がやりたいこと(仕事のみならず)を見つける手がかりは過去、とりわけ子供時代にあるというのです。

*「キャリアカウンセラー」とは、仕事選びに迷っている人の相談にのり、その人にとっての「より良い職業人生について」共に考える職業です。人材派遣会社やハローワーク、学校の進路指導課などで働いていることが多いようです。(ここでは一応狭義での解釈で仕事上としての「キャリア」を指しています。ただし「キャリア」の語源は馬車の「轍-わだち」から来ているとのことで、日本でイメージされるところの「エリート官僚」や「キャリアウーマン」のイメージとは異なる言葉です。例えば主婦には「主婦としてのキャリア」が存在していますし、学生にも広義でのキャリアがあると思われます。単に仕事上の足跡だけというわけではなく、その人の人生の道程という意味もあります。仕事って人生に密接に関わっていて切り離して考えられるわけではないですからね…。)

 

それで、「私って子供時代何に夢中になってたっけな…?」と思い起こしてみました。

私は子供の頃から哲学や心理学に興味がありました。日本人にありがちな無宗教者ではありますが、占いやスピリチュアル的なこと、神話や超能力、心霊、オカルト世界などに興味津々な子でした。(海外では「no religionー無宗教」だと言うと驚かれるそうです。むしろ、”1つの宗教を拠り所としない八百万の神的考え”は「日本人ぽい」といえば、それも1つのアイデンティティかもしれませんが)

学研から出ている「ムー」とかよく立ち読みしてましたね。あの頃、真剣にスプーン曲げとか幽体離脱とかを特訓しましたよ。(ついぞ出来ませんでしたが・笑)大人になって仕事で学研さんへ伺う機会があり、別のフロアに「ムー編集部」があってちょっと興奮したのを憶えています。宜保愛子新倉イワオが好きで「あなたの知らない世界」が楽しみでした。(夜に一人でトイレに行けなくなるのはお決まりでしたが)

夏になると「怖い話」のムック(「学校の怪談」とか「トイレの花子さん」とかあの手の「都市伝説」を集めたような雑誌です。子供って怖い話好きですよね。)がよく発売されていましたが、ああいうのをお小遣いで買っては、学校に持って行って回していました。そうするといつの間にかどこかへ行ってなくなってしまうんですね。家においておくのが怖かったので丁度よかったのですが。

 

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買ってきたばかりの本を袋から出して読もう!と思ったら、どっかりと乗ってジャマな方がおられました。これも運命なのでしょうか。

 

今思えば、私はおそらく「目に見えないもの、得体の知れないもの、解明されていない世界」に興味があって仕方ないんですね。それが宇宙(天体)や医学など「科学」の方向へ向かっていればまた別の道も拓けていたのかもしれませんが(ノーベル賞とか!?)、私の場合はそこに「人の想い、思念」が乗っていないと興味関心が向かないようです。軸は「人」というか広義には「生命」であり、「人の想いが行動につながること」=「動機」に興味があるのだと思います。

神さまもお化けも超能力も占いも、本当に存在するかは誰もわからないけれど、少なくとも今、人間の想像上の世界としては認識されています。実際いるかいないかはさておき、そういうカテゴリーやジャンルが誰かによって生み出され、一時の流行として消えてしまわず長年かけて醸成されている。私にとって本当に興味があるのは、「なぜそういうものや考えが生み出されたのか」という背景や、「それらが人間にとってなぜ必要だったのか」みたいな、かなり壮大なことだと思います。それこそ「こたえ」なんて無数にあって、「人間とは何か」という、NHKが何年かかけてやるドキュメンタリー番組みたいな、結局つかみどころのない内容なんだと思います。

哲学って「こたえ」がないから、ハマるとエンドレスで考えてしまうのですが、おそらく死ぬ間際までそうなんだろうなと思います。もう中年になってもそうだから、きっとおばあさんになってもそこは少女だった頃のままなのでしょう(笑)

 

 誰もがみんな何がしか「使命」を持って生まれてくる

そんな私はあるとき、「世界がもし100人の村だったら」という話を読んで、雷に打たれたような衝撃を受けました。話題になったのでご存知の方も多いと思います。子供にもわかりやすい平易な文章やイラストで「全世界における社会問題」が描かれています。なかなか自分が「地球民」だと普段意識することはありませんが、これを読むと自分も地球のイチ住民として、「何かせねば!」と浮き足立ってしまうことうけあいです。

 

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そうそう、こんな感じで衝撃を受けました! 漫画のコマだと間違いなくガイコツ黒焦げなシーンですよ!これは日本のお家芸らしいです。

この画像の出典:ネット上の知恵袋画像より拝借

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13152990288

 

「先進国・経済大国である日本に日本人として生まれ、便利であることに慣れ、衣食住に不自由することなく、高等教育を受けさせてもらい、普通に仕事があり食べていける・・・」それは、この「世界がもし100人の村だったら」に照らし合わせて考えると、100人の村には1人もいません。(100人中「大学で学べるのは1人で、コンピューターを持っているのは2人ですから)

「地球上で0.0…数%の恵まれた境遇にありながら、もし何もできないのなら、私は何のために生まれたのか、こうしてはいられない、自分に何ができるのか本気で全力で考えなくては」そんな想い、焦燥感のようなものが自分の中に強くあることを、そのとき私はハッキリと意識しました。

今まで当たり前だと思っていたことが、いかに当たり前ではないか、自分がどれほど恵まれた境遇におかれていて、どれほどたくさんの人々に助けられてきたか、本当に「ガツン!」と頭を殴られて真っ白になったような衝撃があり、目の前で星がチカチカしていました。 

matome.naver.jp

 

人にはこの世に生を受けたからには何がしか「使命=ミッション」が与えられているそうです。それはもし幼くして亡くなってしまった人だとしても。どんな人にも大なり小なり。トムクルーズほどのインポッシブル過ぎるミッションだとかなり尻込みしてしまいますが、私にも「ちっぽけだとしても何かあるのだ」と思うと、それを探さずにはいられないのです。人生の後半戦に向けての抱負ではありませんが、「少しづつ、日々の小さなことからでも心がけて変えていこう」と思っています。(勝手に後半戦だと思っていますが、うちは両親とも長寿傾向で90代まで生きるかもなので、まだ人生折り返していないことになってしまいますが…そればかりは順番はわからないということで準備しておくことにします)

昨日、はてなブログで拝読している方のブログタイトルがウィリアム・ジェームズ(アメリカの哲学者)の「人間には、その人がなりたいと思うようになる性質がある」というものでした。この言葉をリマインドしてもらって私は「ああ、そうだった、人間は思い描いたようにしかなれないんだった」とあらためて、「自分はどうなりたいか、きちんと向き合っていこう」と誕生日に気持ちを新たにしたのでした。

私は名言と言われる、彼のこの言葉が好きで手帳に書き留めています。

Sow a thought, reap an action.
Sow an action, reap a habit.
Sow a habit, reap a character.
Sow a charcter, reap a destiny.

ーWilliam James

心が変われば行動が変わる。
行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。

ウィリアム・ジェームズ

 

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かなり長文を書いていたことが猫さまの怒りをかってしまったのか、実力行使・・・もうキーボードなんて打たせまいという彼女の強い意志を感じます。

 

私は「元旦から1年」がはじまるより、「自分の生まれた日から1年」がはじまる方が「ドラマチックな感じ」がして好きです。(大晦日から元旦の厳かな雰囲気はそれはそれでいいのですが)丁度この時期、手帳やカレンダーが一斉に発売されるので、気持ち新たにスタートするにはタイミングもいいのです。

冒頭の「運命は変えられるか」「幸せってなにか」について考えさせられるこんなエピソードがあります。パナソニック創業者の松下幸之助が、自社の採用面接にて求職者に「あなたは運がいいですか?」と質問し、「運が悪い」と答えた人は、どんなに学歴や経歴が優秀だとしても落としていたという話はあまりに有名です。生きていればどんな人の上にも様々なことが起こるでしょう。それをプラスにとらえるかマイナスとするかは、本人の受け止め方によっても違ってくるという考えから、この質問によって求職者の人生に対する「前向きさ、幸運をつかむ力」を見ていたのだと思います。

「幸せであるか」「運がいいか」は自分が自分で決めているところが大きいのかもしれません。「運命は変えられるか」「幸せってなにか」という壮大なテーマに、「結局ひとつの決定的なこたえなんてないのだ」と諦めてみるのもいいのですが、今この時点でできることは「まずは今日、今ここの自分の心持ちをちょっと変えてみることから始める」ことです。

近年日本での誕生日とは、「自分がプレゼントをもらい祝ってもらえる日」になっていますが、そもそもは「産んでくれた親や、今まで自分を成長させてくれた周囲の人や環境に感謝する日」だと本で読みました。むしろ「誕生日の人はプレゼントする側」なのだそうです。私にはこれからどんな恩返しができるか考えてみたいと思います。今の自分の恵まれた境遇は、自分の努力のみが作ったものではなく、これらの人々によってあるのだと、新たな気持ちに立ち返った1年のスタートなのでした。